今年もよろしくお願いします

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5日に子どもたちのコンクール、8日にコンクール動画撮影がありました。
3日から伴奏合わせを予定していて、
「年末のレッスンではとても良かったけど、きっと生ぬるくなってるんだろうな、気持ち引き締めるレッスンしないとね」と前日に夫と話していたのですが、
そんなことはなく、ちゃんと“コンクール二日前”の演奏でした。
このこともあり、
私はどうも期待値が低い傾向にあるのかなと思い、今年は“信じること”が目標だなと感じています。
それから、“個々に持っている良いものを活かす”ことにもフォーカスをあてたい。
それには昨年までの、足りていないところに目を向けるレッスンの土台があるからこそ、ポジティブな目標にシフトできるのです。

そのような気持ちで本当に久しぶりに娘の本番を聴きました。
場所は淡路島、堀音時代の師匠が開催しているマスタークラスの修了演奏会を聴きに行きました。

着いて早々、師匠にお目にかかり、「高校の時から上手かったけど、オーラに拍車がかかって、演奏も素晴らしくて」と言っていただいたのですが、久しぶり過ぎてピンとこなかった。

娘の堀音時代の師匠、島田先生と。


3時間強の演奏会、はじめの方は現役堀音生。
受験直前です。
演奏を聴きながら、思いもかけず、受験前の苦しさなどがブワッと押し寄せて。
娘の出番が近付くと、そんな必要ないのにソワソワしてしまって、
ここでも、常にいらない心配をしていた自分はもう封印。
大学受験まではずっと演奏の心配はもちろんのこと、楽器の心配、手の故障の心配。
大学になってからはさすがに演奏への心配は範疇ではなくなりましたが、客入りの心配やお客様の反応の心配など⋯。
常に“信じる”ことに怯えがあったんだなと思います。
それらの心配は娘といえど、一人の演奏家に対して失礼なこと、
ただただ、敬意を持って丸ごと“信じる”ことを実践していけたら。
そう思い直し、居住まいを正してから娘の演奏を聴きました。


そこには、演奏家としてはもちろん、人間としての成長、音楽を通して自分を見つめ直した娘の姿がありました。少し振り返ると、10代の頃、音楽をどう解釈するか、どう解釈したいかについて、娘は人一倍熱心でした。考えれば考えるほど、難しくて絡まり、また自分なりに上手くまとまった時も短期の評価には繋がらず苦しんでいた。気持ちの成長と共に、たくさん考えた音楽が表に出てきて、何年も何年もかけて実を結んできているように思います。
十数分の演奏でそれが見えること、ものすごいことだと思いました。
価値ある時間。
娘は”来てくれてありがとう“と言ったけど、
聴かせてくれてありがとう“をこれからも伝え続けたい。

コンクールと動画撮影のお話は後日に・・。

淡路島のハイウエイオアシスで食べたシラス丼。毎年これを食べるのが楽しみ(^^♪


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