最近、母からもらった新聞切り抜きでストンと落ちた記事がある。
ヴィオラ今井信子先生の、コンクールに対する記事で、なかでも「実力を発揮できるかどうかなんてその日の運でしかない」という言葉には、そうなんだよなぁと常に思いつつも、はっきりと言い切る覚悟が私にはまだなくて。
「限界の精神状態にならないと見えないものがある」とも書かれていて、スピッカートの生徒さんを限界に追い込むつもりはないけれど、
コンクールのステージで、「あんな音出せるんだ」と感激したことは一度二度ではなく、
それは彼ら彼女らなりの「限界の精神状態」であったのだなと思う。
では、運が味方につくためにはどうしたら良いか、手をこまねいて待つわけではないのです。
これまた先日、藝大の公式YouTubeに、娘の師匠とお弟子さんの対談がアップされました。
ここでもたくさん、そうなんだよなぁがありましたが、なかでも、
日常から、自分の気持ちに素直になること。が大切というお弟子さんの言葉に、色々繋がることがありました。
何が食べたいか、何をしたいか、自分がどうしたいのか。
演奏する時の自分が特別ということではなく、日常も演奏も全て繋げて、自然体に自分を出すこと。が、運につながるのかなと思います。
先々週、先週と2週続けて、小4の生徒Hちゃんと“音楽=芸術か?”ということについて議論(笑)しました。
彼女は、音楽室に置いてある、娘の盾に書いてある、“アーティスト”という言葉と“芸術協会”という言葉に反応し、
音楽は芸術じゃないというのです。
確かに、絵画や創造物のように一から作るイメージはないし、楽譜に書いてある通りに弾くと思っていたら、芸術ではなく、どちらかというと勉強に近くなってしまう。
そして、楽譜通りに弾けた。で終わってしまえば、いつまで経っても“芸術”には昇格しない。
コンクールにエントリーする生徒さん達ですら、“芸術”の域があることを知っているのかな?と思うことが多々あります。
出来るかどうかまではまだ求めないけれど、
知ろうと思うか、理解しようと思うかがとても大事だと私は思うのです。
楽譜通りでもなく、自分流に「弾けた。以上!」の態度では理解の域にはいきません。
そして、伝えたくても壁が見えてしまうのです。
そういった点では、この、Hちゃんとの2週にわたる議論は良いことだなと思いました。
多分、まだ議論は続きそうです^^;
昨年のBoysとGirlsの頑張りのおかげで私にも美しい盾が届きました。
アウトプットをたくさんした昨年ですが、この盾を見ながら、今年はインプットの年にしたいなと思っています。

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