娘が大学生になりました vol.3

受験
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続きです。

練習を終えて、そのままタクシーで上野へ。
上野公園を通って校門近くまで来ると、先のグループで弾き終えたであろう子達が出てきて、待っていたお母さんにどのようだったか報告していました。

「ここでいい」

目に大粒の涙を溜めて、娘がそう言いました。

「中に入って、ダメだと思ったら弾かずに出てきていい。頑張ってたのは消えないし、私は知ってるから。」
この時は虚勢ではなく、本音でした。
本当に弾かずに出てくる可能性も少なからずある。
そのくらい前日当日の娘は弱まっていたから。

門の中へ消えていく娘を送り出したあと、歩く気力が出ず、寒空の中1番近いベンチに腰をおろし、門から出てくる受験生をぼんやり見ていました。
夫に連絡しておかなきゃ。そう思って、「精神的に無理かもしれない。マンション契約は私たちが勝手にしたことだから、費用を捨てることになっても帰ってきたら暖かく迎えよう」
そう連絡しました。
「温かい飲み物でも飲んで」夫からは優しく返信があり、
改めて私たちは家族であり、チームでもあったんだと感じました。

夫の忠告に従い、温かい飲み物を求めて立ち上がり、美術館の中に入ったのですが、
ざわめいているカフェに入る気にどうしてもなれず、共有スペースの椅子に座りました。
どうして娘はこんな思いをしなくてはならないんだろう、どうしてヴァイオリンを続ける必要があるんだろう、毎日楽しく笑っているだけでは幸せは手に入らないのだろうか。
望んでここまできたのに、そんな考えが頭の中でぐるぐるして、美術館の椅子でもぼんやりと1時間。

「終わったよ」

そう連絡が来た時、どのような出来であっても、戻ってきたことが嬉しく、私も息を吹き返した気持ちになりました。

合流して美術館に戻り、レストランでランチをとりながら話を聞きました。
受験の待機室では、受験生のほとんどが顔を伏せたり、頭を抱えたり、かなりの緊張が漂っていたらしいです。
娘は自分の番号が呼ばれ、景気つけようと颯爽と受験会場のドアを開けたそうなんですが、審査の先生方がずらっっと並んでいて、一気に涙目になり、
震える声で受験番号を言い、どのように弾いたか記憶がないと言いました。

どのように弾いたか記憶がなくとも、身体が指が覚えているからきっと大丈夫。

「立って弾いてきた、それだけで偉いよ」
そう言って上野を後にしました。

帰阪後は、私も娘も延々と寝続け、こんなことがあと2回、複雑な気持ちです。

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